原爆被災資料 H セット (11点)
1 丸瓦(爆心直下)熱線の直射を受けた瓦の表面はすべて沸騰して泡立ち、被爆瓦特有の発泡状の痕跡を残した。近距離のものほど泡は大きく、想像を絶する熱線の恐ろしさを示している。実験の結果では、4秒間、1,800度の高熱にさらすと同じ現象が現れる。 |
2 桟瓦(爆心地より約50m)(サイズ:5×24×19) |
3 溶けた瓶熱線により変形した瓶の底部分。爆心直下にて収集したもの。 |
4 溶けた瓶爆心地付近の松山町競技場で工事の際収集されたもの。強烈な熱線により溶けて原型をとどめていない。 |
5 ガラス溶解物爆心地付近にあった旧松山町競輪場横で収集したもの。ガラス片が溶けてくっついており、中に黒い紙のような物が挟まっている。 |
6 梱包材の跡が残った酒かんびん戦後、爆心地から約360mの平野町に、家を建てるため土を掘り返したところ、土中より出てきたカメの中にあったもの。梱包材のわらのような物の跡がくっきり残っている。 |
7 鎹(かすがい)昭和59年、爆心地から約1.2kmの梁川町にある現淵中学校の体育館建替えの際、同校の1年生が収集したもの。爆風により曲がっている。 |
8 体内摘出ガラス片長崎大学附属病院において、被爆者の左大腿部から摘出されたガラス片。 |
9 炭化した麦この黒焦げになった麦は、1991年(平成3年)7月9日、爆心地から約400mの岡町の市道地下から、下水道工事中に発見されたものである。 |
10 ゲートルの名札当時長崎医科大学附属医学専門部1年生だった大久保 彰さんは、被爆後行方不明になっていましたが、翌年1月18日、遺体となって金毘羅山の中腹、高圧線の鉄塔のそばで、変電所の職員により発見されました。遺体の証明をしてくれたのがお母さんが作った、このゲートルの裏に白布に書いて縫い付けていた名札でした。 |
11 腕時計当時長崎医科大学附属医学専門部1年生だった大久保 彰さんは遺体発見後荼毘にふされましたが、遺骨と共にこの時計が残りました。 |
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長崎市 原爆被爆対策部被爆継承課
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