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城山国民学校

西0.5キロ 城山町1丁目

 城山国民学校は、爆心地帯の中でもっとも爆心地に近い国民学校で、建物および人員の損傷率がきわめて高かった。このため、原爆被害の代表的な箇所の一つとなっている。

 校舎は本館、旧館の2棟で、いずれも鉄筋コンクリート3階建であった。本館は土台から西方にかたむき、各階とも内部が破壊され、3階の一部は外壁もろとも崩壊した。その上、火災を起こして2、3階は全焼した。1階は延焼をまぬかれた。職員室は新旧の2棟をつなぐ接続棟の1階にあり、最初に出火したところであるが、学籍簿など一切の書類や器具を焼失したものの、この火災は職員室のみにとどまった。

 原爆のとき、学校には、本館1階の校長室などに清水佐生校長以下職員29人、その子ども1人、庁務員3人、計33人がいた。このうち助かったのは、荒川秀男教頭ら4人(うち子ども1人)であった。死亡者は、校長室5人のうち4人、職員室1人、宿直室4人、用務員室2人、校庭17人、他出中被爆死亡の庁務員1人、計29人、生存者は、校長室1人、医務室2人、階段室1人で、計4人、これがその内訳である。ことに、校庭で甘藷畑の草取り、掃除などをしていた17人の中には、顔かたちも判別できぬ姿で爆死した者が多かった。

 旧館校舎の被害は、1階が内部破壊、2階の一部と3階がほとんど崩壊した。しかし、火災は起こらなかった。

 ここには三菱兵器製作所の給与課が疎開し、2、3階を使用していた。この日の出勤者は、長崎経済専門学校、県立長崎高等女学校、市立商業学校、女子商業学校、瓊浦高等女学校の動員学徒44人を含む約120人で、一部の者は交替で校庭の端にある防空壕の補強作業をしていた。被災の状況は、3階(6教室使用)の66人は全滅、2階(5教室使用)の36人は31人が死亡し、5人が助かり、防空壕作業の17人は6人が死亡、11人が助かったがうち2名は放射能障害の症状を示した。

 このように、同校では総計152人のうち132人が死亡した。比率でいうと、爆死(即死)が約40%を占め、被爆死亡(後日死)が約60%となる。

 城山国民学校の児童被害は、学籍簿焼失のため在籍総数は不明だが、推定1,500人で、このうち1,400人余りが山里国民学校と同じく家庭で死亡した。

 なお、本館1階に保管中の非常米1,500俵は火災をまぬかれ、後に配給された。

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