背景色
標準
文字サイズ
標準

メニュー

色合い・文字サイズ変更

背景色
標準
文字サイズ
標準
Language
ENGLISH
  • facebook

原爆被災資料 C セット (10点)

1 瓦

イメージ浜口町(爆心地から約250m)にて収集。高熱のため変形した瓦の上に溶解物が付着している。
(サイズ:2×10×6.5)

2 土の塊

イメージ被爆地不明。
(サイズ:4.5×10.4×12)

3 瓦

イメージ熱線の直射を受けた瓦の表面はすべて沸騰して泡立ち、被爆瓦特有の発泡状の痕跡を残した。近距離のものほど泡は大きく、想像を絶する熱線の恐ろしさを示している。実験の結果では、4秒間、1,800度の高熱にさらすと同じ現象が現れる。被爆地不明。
(サイズ:4.5×19×13)

4 溶けた鉛

イメージ駒場町にあった長崎酸素株式会社(爆心地から約480m)の跡地で収集。
(サイズ:6.8×13×7.5)

5 石鹸

イメージ浜口町にあった三菱社倉浦上配給所(爆心地から約400m)の跡地にて収集。「戦時石鹸」と刻印があり、高熱により変形している。
(サイズ:6×4×2)

6 壷

イメージ城栄町と油木町の境付近(爆心地から約600m)の土蔵の中で被爆したもの。
(サイズ:22.8×21.5×21.5)

7 ガラスコップ

イメージ山里町(爆心地から約350m)の自宅で被爆した方の遺体捜索中に収集したもの。
(サイズ:6.5×6.8×3.8)

8 柱時計

イメージ稲佐町(爆心地から約2.2km)にて収集。原爆炸裂の瞬間、11時02分を指して止まっている。
(サイズ:11×51.5×25.5)

9 変形した瓶

イメージ爆心地から約100m松山町交差点付近の深さ約1.8mの土中から発見されたもの。高熱の為変形している。
(サイズ:21×9×7)

10 絵(4枚)

イメージ被爆者救援列車(寺井 邦人 画)
この3枚の絵は当時被爆者救援列車の機関士として直接援護に当たった寺井邦人氏が回想して描いたものである。おびただしい負傷者が救いを待つ長崎市の北部に、原爆投下から約3時間後にようやく救援列車が到着し、当日4回にわたり多数の負傷者を沿線の病院に運んだ。
(サイズ:40.5×33.5×2.5)≪3枚とも≫

悲しき別れ-荼毘(だび)(松添 博 画)
(サイズ:41.5×29×2.5)

貸し出しに関するお問い合わせ

長崎市 原爆被爆対策部被爆継承課
TEL:095-844-3913

/search/data/rental/siryoukasidasi/set_c.html