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三菱造船幸町工場

南1.7キロ 幸町1丁目

 幸町工場は北の方から鋳造工場、機械工場、薄板(製缶)工場と並び、長崎本線の鉄道側に旧紡績工場跡の一棟が建っていた。この一棟が、刑務所の受刑者で編成された長崎造船護国隊本部と福岡俘虜収容所第十四分所となっていた。このほか、木造2階建の総合事務所などがあった。

 幸町工場の従業員は、最盛時にはおよそ2,500人を数えたが、兵役、応召、工場分散等によって次第に減少し、当時は大体、学徒報国隊、受刑者、捕虜を含めて、機械工場600~700人、鋳造工場300~400人、薄板工場200~250人、総合事務所など150~200人位であったといわれる。これと同様、原爆当日の出勤者並びに死傷者数も明確ではない。この日は朝から警報発令のため、学徒報国隊の欠勤が多かった。ここには県立長崎中学校、県立長崎工業学校、長崎市立商業学校、長崎市立高等女学校、東陵中学校などの学徒が動員されていた。

 

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