1954年3月、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行なった水爆実験によって、約160km離れたところにいた、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰(大量の放射能を含んだサンゴ礁の細かいチリ)を浴び、その年の9月に乗組員が1人亡くなりました。
この事件がきっかけとなり、核兵器の恐ろしさが広く知られ、原水爆を禁止しようとする運動が高まり、翌年には、初の原水爆禁止世界大会が開かれました。
また、核実験を禁止したり核兵器を減らそうと国どうしで取り決めをしたり、ある地域の国々では、核兵器を造ったり持ち込ませないように約束する「非核兵器地帯条約」などが結ばれるようになりました。
日本は1967年に「核兵器をつくらない、もたない、もちこませない」と決めました。(非核三原則)世界でただ一つ、原子爆弾を落とされた国として、核兵器をなくすよう世界に向けて訴えていくことが大切です。
2017(平成29)年7月7日、国連で、核兵器を「非人道兵器」として、その開発、保有、使用などを禁止した「核兵器禁止条約」が、122か国の賛成により採択されました。この条約が世界のルールとなり、核兵器をなくす方向に進むことが期待されています。