浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)

 

 ここは、爆心地から北東へ約500mの地点です。現在の天主堂は昭和34(1959)年に再建されました。

 旧天主堂は、明治28(1895)年に起工し、大正14(1925)年に完成するまで、30年の歳月をかけて建てられました。当時は赤レンガ造りの、東洋一といわれた大きな教会でした。

 原爆の日、一瞬のうちに爆風で崩壊、火災で屋根と床の可燃物は焼失しました。聖堂、司祭館などは堂壁の一部を残して敷地内にあった聖人像などの石像もほとんどが大破しました。双塔の鐘楼の片方は天主堂内部に倒れ、他方は近くの川へ転げ落ちました。

 なお、遺壁の一部は原爆落下中心地に移設されています。また、長崎原爆資料館に被爆当時の南側入口の再現造型や被爆した像など(実物)が展示されています。

 

西方から天主堂を見る 米軍陸軍病理学研究所返還写真

現在も、天主堂の左側の植え込みには、熱線で黒く焦げたり、鼻や腕、指がもぎとられたり、頭部を欠いた石像があります。

 

浦上天主堂旧鐘楼(うらかみてんしゅどうきゅうしょうろう)

現在の浦上天主堂旧鐘楼

被爆当時(H.J.ピーターソン氏撮影)

 

 浦上天主堂の敷地内を流れる小川の土手に、旧天主堂双塔(レンガ造り)の、ドーム状鐘楼の一つが巨大な残骸をさらしています。

 川いっぱいにはまりこんで流れをふさいでいたので、信徒たちが取り除こうとしましたが、爆破するにしても、占領軍の許可がなければ火薬は使えません。地主と相談のうえ北側に川をつけかえて土手に半分埋もれた現在の姿になりました。

 

 平成28(2016)年10月3日、この浦上天主堂旧鐘楼を含む「長崎原爆遺跡」が国の史跡に指定されました。