山王神社二の鳥居(さんのうじんじゃ にのとりい)

現在の山王神社二の鳥居

被爆当時(石田壽氏撮影) 

 山王神社の参道には一の鳥居から四の鳥居までありましたが、爆風に対して平行に立っていた一の鳥居と二の鳥居の片方の柱は倒れませんでした。三、四の鳥居は倒れ神社境内に置いてあります。

 一の鳥居は、昭和37(1962)年までほぼ原型のままありましたが、現在は形跡もありません。

 二の鳥居は爆心側の半分を吹き飛ばされましたが半分は残りました。

 被害はまず強烈な熱線が鳥居の上部を黒く焼き、次の瞬間襲った秒速200mの爆風で鳥居は真っ二つになり1本の柱と上部を破壊しましたが、片側の部分は上に笠石を載せたままのこり、風圧が上の石を約5㎝横にねじ曲げました。柱に刻まれた奉納者の名前も爆心地に向いている部分は、熱線により文字が読めなくなっています。

 金比羅山への道筋にあったこの一帯は、熱と煙それに恐怖から逃れるように被爆者達がぞくぞくと山を目指して地獄絵さながらに避難していきました。爆風に耐え、それらを目の当たりにしてきた鳥居。頭に笠石ともう一枚の石、それに貫の一部で重量のバランスを保ち、半世紀を過ぎたいまも“被爆の証人”として一本柱で立ち続けています。

 

 平成28(2016)年10月3日、山王神社二の鳥居を含む長崎原爆遺跡が、国の史跡に指定されました。