戦災復興記念(せんさいふっこうきねん)

昭和50年11月14日建立
モニュメント製作者 富永 直樹

 

 昭和20年8月9日午前11時2分、一個の原子爆弾によって長崎市は、一瞬のうちにその大半が焦土と化した。

 その範囲は爆心地からおよそ3.5キロメートル、面積約6.7平方キロメートルに及び、死傷者約14万9千人、被災家屋1万8千余戸に達した。

 昭和21年9月「戦災復興計画基本方針」にもとづき、復興土地区画整理区域を決定、直ちに事業に着手した。混乱した戦後の社会状況のなかで、しかも当時としては画期的な大事業であったが関係者の協力のもと、幾多の困難を克服し着手以来28年余の歳月を費やし、昭和50年2月に完了するにいたった。戦禍の街は、今や希望と繁栄に輝く平和都市として再現されたのである。

 ここに都市再建の業績を記録し、記念碑を建立する。

昭和50年11月14日
長崎県知事 久保勘一