長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂(ながさきしげんしばくだんむえんしぼつしゃついとうきねんどう)

平成6年7月22日落成

 

概要

 原子爆弾によって亡くなられた身元や氏名不詳の遺骨、氏名がわかっていても一家全滅などで引き取り手がない原爆無縁死没者の遺骨を安置しています。

 昭和22年、城山町の篤志家の手により、駒場町に「原爆殉難死者納骨堂」が建設され、爆心地付近に散在していた多くの原爆死没者の遺骨を収集し、安置しました。

 その後県下各地に散在する無縁仏の遺骨を引き取るために県下各市町村に調査した結果、各地の共同墓地等に多数埋葬されている引き取り手のない無縁遺骨が判明したため、民生委員協議会と共同で引き取りました。

 昭和34年に長崎市が岡町に新たに建設した「原子爆弾死没者慰霊納骨堂」に安置しましたが、平和公園地下駐車場の工事に併せて建て替えることとなり、平成6年、現在の建物が完成しました。

 

原爆殉難無縁者慰霊の記

 昭和二十年八月九日午前十一時二分米軍が原子爆弾を長崎に投下した この時の即死者七万四千余名および 避難の途中或いは収容加療中に死亡した者のうち一家全滅または身元不明のため無縁となった遺骨は 市町村役場や寺院 町内会その他一般篤志家の手で 埋葬供養されていた

 長崎市民生児童委員協議会はこの不幸な方方のみ霊をお慰めするため 長崎市に協力して昭和三十年七月から一年余にわたり市内外の各地に散在していたこれら無縁遺骨を収集した

 のち昭和三十四年三月市民の浄財をもってこの地が購入されたが その寄贈を受けた長崎市はここに納骨堂を建立し管理を長崎市民生児童委員協議会に委託した

 よって本会は さきに収集した原爆殉難無縁遺骨七千余柱をここに安置し 観音像を本尊として年々祭祀を行いその冥福を祈ってきた

 その後遺骨の氏名や近親者が判明して引きとられたものもあったが 追加合祀された数もまた多く 昭和五十年八月現在八千九百二十七柱が安置されている祭祀は長崎市仏教連盟のご奉仕を願い長崎市原爆殉難者無縁仏慰霊奉賛会がこれに当たり経費は長崎市民を始め広く全国各地から寄せられた浄財により賄われている

 ここに原爆被爆三十周年を迎えるに当たり 殉難者の冥福を祈念し世界平和実現へ邁進する決意を新たにしつつ謹んで右の経過を記す

昭和五十年八月一日
長崎市民生児童委員協議会
長崎市原爆殉難者無縁仏慰霊奉賛会


 ※この慰霊の記は、当時この建物を管理運営していた上記協議会・慰霊奉賛会が設置したものです。