未来を生きる子らの像(みらいをいきるこらのぞう)

平成8年3月31日設置
像製作者名 余江勝彦 余江径央

 

悲しき別れ-茶毘(だび)

 けが人や死体には驚かないようになっていた私が、忘れ得ない情景を見たのは8月19日のことでした。爆心地より約4km、滑石の打坂というところの畑の中で、2人の少女が積み上げられた木材の上に寝かせてありました。10歳前後で、私は姉妹であろうと思っておりました。あの頃見たこともない立派な着物を2人とも着ており、先ずその着物のあまりの美しさに私は我を忘れて見とれていました。顔をみるとどこにも傷の跡は見られず、薄化粧がしてあり、その顔の美しさにも息をのんで見ました。死んではじめて着せられた晴着、死んではじめてされた化粧、周囲の心遣いが逆に何とも哀れでなりませんでした。何と悲しいことであろうかと思いました。私にとっては強烈に印象に残った情景であり、その悲しい物語を残そうと、あの時とても美しい着物は表現できませんでしたが、29年後1枚の絵に描きました。

松添 博

 

「未来を生きる子ら」

未来を信じ、未来に生きる若者として、戦火の中で傷つき苦しめられたアジアの人々に、そして、平和を愛し戦争のない世界を願うすべての人々にこの像を捧げたい。 戦後50年の春、「悲しき別れ-茶毘」に描かれた少女の一人、福留美奈子ちゃんの母、志なさん(93才、京都府綾部市在住)の「長崎に平和を祈るお地蔵さんをたてたい。」という願いをつづった一通の手紙が綾部中学校生徒会に届いた。原爆にわが子を奪われた母の思いを折り鶴に込めて、ヒロシマへ修学旅行に行く私たちに託し続けてこられたおばあちゃん。過去の歴史と現実について学んできた私たちの胸に、おばあちゃんの願いは強く響いた。その願いをかなえたいと、中高生の仲間、父母、先生、地域の人々が集まり「長崎にふりそでの少女像をつくる会」が生まれ、募金活動が始まった。「像をつくって終わるのではなく、そこから世界へ平和を考える輪を広げたい。」そんな私たちの思いに共感して下さった全国の方々の支援と、像制作にたずさわった多くの方々の熱意と努力によって、像は完成した。核兵器のない自由で平和な世界を願い、ナガサキから世界の青空へと舞い上がる二人の少女によって人々の思いは一つに結ばれた。 この像がつくられた道のりこそ、平和な未来をつくる真実の道だと私達は確信する。

1996年3月31日 長崎にふりそでの少女像をつくる会