被爆当時の地層(ひばくとうじのちそう)

被爆当時の地層を見学できます。

 当時、松山町には、約300世帯1,860人余の一般市民が生活していました。

 町内にいた者は、偶然にも防空壕に避難していた9歳の少女を除き全員が即死しました。壊滅した松山町は想像に絶するような熱さの地獄と化し、むごたらしい被害の跡は黒こげの死体がいくつも荒れ果てた焼けた土に横たわり、まさにこの世の終わりを思わせるものでした。

 地層の中には、家の瓦・レンガ・熱で溶けたガラス・茶碗・針金などを見ることができます。ここには、原爆によって壊された家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土や溶けたガラスなどが現在でも大量に埋まっていて、被爆当時の悲惨な実相を示す資料として現地に保存しています。

「昭和20年8月9日被爆直前の爆心地付近の復元図」を掲示しています。被爆前は、公園内に民家が多くあったことがわかります。