平和の願いを後世へ(へいわのねがいをこうせいへ)

平成8年12月設置

 

1945年8月9日午前11時2分、長崎市松山町の上空に投下されたアメリカの原子爆弾によって、七万有余の尊い生命が奪われました。かろうじて生き残った被爆者たちの中には、自分で肉親を火葬したり、住む家もなく遠い親類にあずかってもらい、肩身のせまい生活を強いられた人も少なくありませんでした。また、自分の親の遺体さえ見つからないまゝ五十年目を迎えた人もいます。

 当時、少年・少女だった私たちは、青春を奪われ、結婚も許されず、病気や火傷などで苦しんでも医療も受けるすべもなく、国は十二年間も被爆者を放置し続けたのでした。

 1955年、社会の片隅でひっそりと暮していた私たちは、この苦しみを世間に訴えようと、長崎で初めての原爆者組織「長崎原爆乙女の会」を、発足させ、続いて「長崎原爆青年の会」を結成し、やがて「長崎原爆青年乙女の会」へと発展しました。

 それから40年私たちは被爆の体験をとおして「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に、核兵器をなくせ、原爆被害への国家補償を、と全国の被爆者と共に運動をすすめてきました。

 こゝに私たちは、被爆五十年そして会結成四十年を機に、同砲のみ霊の鎮魂と私たちの想いと未来への願いをカプセルに込めてこの碑に収め、恒久の平和を世界の人々へ訴えるものです。

1996年(平成8年)12月23日
碑石寄贈 山口高弘 揮筆 山田拓民
彫刻 (有)有川石材 碑文彫刻 五島ネームプレート
長崎原爆青年乙女会 被爆五十周年記念碑 建立委員会