原子爆弾落下中心地碑(げんしばくだんらっかちゅうしんちひ)

 

原子爆弾落下中心地碑の歴史

  • 昭和20年
    原子爆弾災害調査団が標柱(アスベスト柱)を建立
  • 昭和21年
    中心地点を示す矢印の表示
  • 昭和23年
    矢印の表示をとり、2~3m盛土して、木製の標柱へ建替え
  • 昭和31年3月
    木製の標柱より蛇紋岩の三角柱へ建替え
    高さ6m、幅1m、0.5mの三角柱
  • 昭和43年3月
    昭和42年末に風化で蛇紋岩が剥げ落ちたため、三角柱の表面の張り石を黒御影石へ張替え

 

被爆当時の状況

 長崎に投下された原子爆弾は、1945年8月9日、午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発しました。原子爆弾が爆発した瞬間の爆発点の温度は摂氏数百万度に達し、爆発からの1万分の1秒後には約30万度の火球を形成したと推定されています。また、火球は爆発1秒後には最大となり、半径約240mまで膨張し、爆発直後の爆心地の地表の温度は、約3,000~4,000度に達したと推定されています。

 写真の中央の標柱は爆心地を示す2代目の標識です。標識は幾度か建て替えられ、現在の形の原爆落下中心地碑は、1968(昭和43)年に建て変えられました。高さ6.6mの三角柱でできています。

石田壽氏撮影

 当時長崎市内には約24万人の人が暮らしていましたが、死者は約7万4,000人、負傷者約7万5,000人でした。原爆の熱線と爆風に火災が重なったので、被害は大きく広がりました。爆風で壊され、後で起きた火災で焼けてしまう家が多くありました。爆風で倒れた家の下敷きになったままで、たくさんの人が火災によって命を失いました。

 現在、原爆死没者名簿は、平成15年7月に開館した国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に保存されています。原爆殉難者名奉安箱には、原爆死没者名簿のマイクロフィルム化したものが永久保存されています。