福田須磨子詩碑(ふくだすまこしひ)

昭和50年8月2日建立

 

生命を愛しむ

新しき年の始めに
しみじみとわが生命愛しむ
原爆の傷痕胸にみちしまま
絶望と貧苦の中で
たえだえに十年
げにも生きて来しかな
悲しみと苦痛の十字架をおい
ほそぼそと生命かたむけ
生きて来しこの現実を
奇蹟の思いでかえりみる
“吾尚生きてあり”
ここに座し 一切を観ず
ふきちぎれた魂は
未完の生を夢み
一片のわが生命を愛しむ

福田須磨子詩集 原子野より

 


福田須磨子。大正11年3月23日 長崎市浜口町43番地に生まれる。昭和20年8月9日、長崎男子師範学校会計課に勤務中、被爆。

昭和30年被爆後遺による紅斑症発病。以来入退院をくり返す。
被爆への怨念と平和の希求、闘いの生涯をこめた「われなお生きてあり」を完成。第8回田村俊子賞を受賞 怨の女か、愛の女か、須磨子は或いは火の玉となり或いは阿修羅となり戦争への危機と核権力に対して抵抗しつづけた。

昭和49年4月2日死去 52歳
秋月辰一郎 撰文

 


 1945年8月9日

 午前11時2分、第二次世界大戦末期、世界第2の原子爆弾が広島についでこの地、長崎の上空に炸裂した。

 一瞬に死傷者は十数万人に達し生存者はその後30年にわたって原爆後遺症と生活苦に呻吟しつづけた。福田須磨子もその一人である。

 しかし彼女は黙することなく生涯かけて原爆の非人道性を訴えつづけた。この碑は福田須磨子の不屈の生涯をしのびあわせて世界の恒久平和を祈念するために全国の有志920名の御芳志をもって建立するものである。

1975年8月2日
詩碑建立委員会