電鐡原爆殉難者追悼碑(でんてつげんばくじゅんなんしゃついとうひ)

昭和62年3月1日設置

 太平洋戦争末期 戦火は益々厳しく造船、兵器工場のある長崎の街は戦時体制の中で、大量に動員された通勤者や一般市民の輸送は最大の急務で、特に朝夕のラッシュ時の混雑は想像に絶するものでした。

 この輸送に当った市内電車の運転士車掌は交通戦士の名のもとに男子女子挺身隊学徒動員の10才台~20才台初めの人たちでした。

 原子爆弾のさく裂によりこの人達は電車のハンドルを握ったまま、車掌カバンを抱いたまま、中にはいまだ12才の少女車掌を含め110余人の若い命が、多くの乗客と共に悲惨にもその犠牲になったのであります。

 

追悼碑使用資材

外枠地引並に台座

  • 被爆した旧下の川停留場ホーム縁石

碑石

  • 殉難者が多かった五島の安山岩自然石
  • 前面に戦時中の使用電車のスポーク付車輪
  • 折り鶴掛及び登り段両側に電車線レール
  • 台座廻り及び前面地上に電車線路敷石