黒い灰・黒い雨

 

黒い灰

 長崎消防署の『原子爆弾記録』に、「閃光に次いで物体の破壊音と共に砂ぼこりを巻き上げ夕やみのようになった」とあるが、この砂ぼこりは「黒ぼこり」ともいわれるように瞬間燃焼の黒い灰のほか、紙片、布切れなどさまざまな微軽量物も含まれていた。その範囲は正確には分っていないが、落下紙片――三菱兵器製作所大橋工場の文書と三菱製鋼所の伝票――から推して、大体、爆心地から半径1,500メートルに及ぶ地域と見られている。地上約500メートルの空中で炸裂した原爆は、まさしく、直径3,000メートルに及ぶ巨大な竜巻を現出したのであった。

 この黒い灰や微軽量物は、折からの南西風(風速3メートル)に乗り、烽火山、帆場岳、日見の山なみを超えて、矢上、戸石、古賀、田結、江の浦など、長崎市東北部の各村に飛散した。

 このため、サツマイモ畑は薄白くなり、サトイモの葉には、はっきり字が書けるように積もった。

 なお、布切れや紙切れは、喜々津村(現在諫早市)や諫早市にも飛来した。

 

黒い雨

 長崎の黒い雨についての学術的記録は少なく、わずかに、残留放射能で知られる西山四丁目の雨がある。このほか、仁科博士の『仁科芳雄ノート』に、

  「長崎 東ノ方ニ雨フル 少シパラパラ何レニシテモ bomb-effect」

 と見える程度である。この原爆の影響による黒い雨について、広島の場合、

「降雨は爆撃の閃光後20分~一時間後に降り始めたものが多く、中には火災によって発達した収斂性上昇気流に起因すると思われるものが2時間後に降り始めた地区もあった。すなわち、降雨は爆撃による直接的な上昇気流による降雨と、爆弾から起こった火災による間接的な作用に基く上昇気流が重なって現われたということができる」また、「雨水の性状は非常に特殊で、最初のうちは黒い泥分が多く粘り気を感じさせる程であった。この雨水は一~二時間継続し、次第に色が薄れて遂に普通の白い雨となった」

とある。これは、日本学術会議調査団の報告であるが、その降雨量は別として、時間帯や雨の性状については、大体、長崎にもあてはまるようである。

 手記や証言によると、医大附属病院裏の丘陵、本原町、穴弘法、金比羅山、西山4丁目付近にかけての地域が多い。その他西部では瓊浦中学校付近、北部では住吉トンネル工場付近、川平地区等で降雨を見ており、また南東部では寺町付近でも少量の降雨があった。

 本原町付近では、黒い雨が降った。

 西山4丁目は爆心地から東に約2.5キロ、丁度、金比羅山頂の真裏にあたる。この付近の雨については、先にいったように日本学術研究会議特別委員会学術調査団によって調査がおこなわれ、「だいたい、その当時の風下になっており(風速3メートル)爆発の20分ばかり後に雨が降ったので、その時、放射性物質が、長崎市から巻き上げられたほこりとともに、落下したものと思われる」と報告がある。

 この付近の土壊からは、放射性物資が検出され、爆発直後に集中的に黒い雨が降ったものと見られている。