長崎市立商業学校(北西1.1キロ 油木町)

 長崎市立商業学校(現長崎県立総合体育館及び長崎市科学館所在地)は、通称油木谷というその頃はまだ周囲に田畑が多い谷間の一角にあった。このため比較的安全地帯として、三菱兵器製作所は早くも昭和19年に工場の一部をここに疎開し、また長崎県は備蓄食糧保管地として、2階教室にミルク、講堂に米麦、味噌、醤油などを分散備蓄していた。

 しかしながら、原爆による被害は爆心地帯の他の学校と変わることなく、鉄筋コンクリート3階建校舎の本館、別館をはじめ、講堂、雨天体操場、武道館、武器庫、清明寮(修練道場)ほか付属施設に至るまで、全焼または倒壊した。と同時に、二つの疎開工場――本館1階の機械工場、木造建物の精密工場――も壊滅した。