三菱兵器住吉トンネル工場(跡)

長崎市被爆建造物等 三菱兵器住吉トンネル工場 (爆心地から約2.3㎞)

 

 

三菱兵器住吉トンネル工場とは

 第二次世界大戦(太平洋戦争)末期、三菱重工業株式会社長崎兵器製作所(略称:三菱兵器)の疎開工場として造られました。住吉付近から山を挟んで反対側の赤迫付近まで、並列した6本のトンネルが掘られ、交代勤務により24時間体制で魚雷部品の製造が行われました。

 被爆直後には、三菱兵器大橋工場や近隣にあった作業員宿舎などから、トンネル内に多くの避難者がありました。

 原爆被爆当時の状況を伝え、戦争や核兵器の廃絶を願い、平和を尊ぶ気持ちを大切にする場所として、2010(平成22)年3月から、1号トンネル及び2号トンネルが見学できるよう、整備を行いました。

 トンネルの周囲には説明パネルを設置し、トンネル内部を照明で照らして、外側から奥の方が見られるようにしています。

 

被爆と救援活動

 長崎市上空で原爆がさく裂した、1945(昭和20)年8月9日11時2分。トンネル工場では、三菱の工員をはじめ、各地からの動員学徒や挺身隊からなる約1800人が魚雷部品の生産等に従事していました。また、トンネル工場の稼働と並行して掘削が続けられており、朝鮮人約800~1000人が従事していました。

 トンネルの外にいた人々のほとんどは、死亡するか、全身におよぶやけどや重い傷を負いました。トンネル内にいてかろうじて大きな被害を免れた人々は、原爆を受けた直後から、トンネルに避難してきた負傷者の応急手当をしたり、三菱兵器大橋工場等の同僚の救援に行ったりしました。

 

トンネル工場建設の背景

 戦況の悪化に伴い国内が空襲されるようになってくると、工場疎開を実施し、効果的に分散したり地下移設をしたりして、軍需生産の長期確保と強化を図ることが、当時の内閣で閣議決定されました。これを受け、長崎の軍需工場でも、工場の疎開が進められることになりました。

 魚雷を作っていた三菱兵器は、大橋工場の機械の一部を、この住吉の山腹に掘られたトンネルに逐次疎開させていきました。工場の運転、機械の疎開及びトンネルの掘削は並行して行われましたが、トンネル完成前に終戦となり、その役目が無くなったトンネルは放棄されました。

 

ご利用案内

見学スペースでは、いつでもご覧いただけます。

  • 休業日、入場料はございません。

    ※トンネル内の見学は、基本的にトンネル入口の柵越しとなります。

     柵の内側から見学したい場合は、事前に原爆資料館にご相談ください。

 

特別公開

  • 「ながさき平和の日」及び「国連軍縮週間」に合わせ、トンネルの入口を開放します。
期間
  • 8月7日~8月10日
  • 10月24日~10月30日
入場料
  • 無料

 

見学の際の注意

  • 事故や怪我がないようご注意ください。
  • 火気を取り扱わないでください。
  • 飲食、喫煙、落書き、遊戯、集会等、他の見学者や周辺住人及び近隣地権者の迷惑になるような行為は一切行わないでください。
  • ゴミはお持ち帰りください。
  • 設備には触れないでください。

 

アクセス

路線バスをご利用の場合
  • 長崎バス・県営バス「住吉」バス停下車、徒歩6分
  • 長崎バス「泉町公園前」バス停下車、徒歩2分
路面電車をご利用の場合
  • 「住吉」電停下車、徒歩5分

 

マップ